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能×現代演劇work#04「ともえと、」記者会見

2017/12/25 @山本能楽堂

出席:林慎一郎、岡部尚子、林本 大(能楽師)

林本 能楽師の林本でございます。第1回目からこの企画を能楽側の代表として担当させていただいておりまして、まだ、能の世界では、40歳では若手なんですけども、任せていただいて、林さんと組ませてさせていただいているのですが、能から演劇に伝えたいこともたくさんありますし、逆に演劇の皆さんから能の方へ教わる、私達が教わることもたくさんありまして、能も広い意味で言えば演劇界ですから、こういう交流が大事ではないかと思います。伝える方法が違うだけで、何を伝えるかと言うことは同じなはずで、そういうことが、伝える方法の違う二つが合わさって、一つのものを伝えられたらと思っております。

○巴について

木曾義仲という武将、平家物語にも出てきます。ずっと、義仲に付従っている巴御前という女の人がいます。その人の話ですが。木曾義仲が戦死をする。で、巴御前は、戦死した義仲を見送って、巴御前もいつ亡くなったかわかりませんけど、亡くなる。木曾義仲も死んでる、巴御前も死んでる、その後の話です。お坊さんが、今の長野県から、今の琵琶湖、京都に行く途中、ある女の人と出会います。女の人が実は、巴の霊だったということで、後半は、その巴の霊が甲冑姿で現れまして、いわゆる懺悔をします。なぜ、巴御前が現れたかというと、これお能のパターンの一つなのですが、成仏させてくれってことです。なので、お坊さんの前に現れるわけですが、お坊さんは逆に、木曾義仲が戦死したときの有様を、その時の巴御前がどうだったのかを、代わりに私に話して聞かせてくださいと言う。お能の一つのパターンで、交換条件です。なので、それを言われた巴御前が、義仲の最期のことを話したり、自分はどういう風にして戦っていたのかを話をして、最後は弔ってくださいと言って消えて行くという話です。

 

林 林慎一郎と申します。劇作と演出をやっていまして、能×現代演劇は、今回で4本目になります。4本とも演出させていただいておりまして、2作目の清経と今回の巴は、岡部尚子さんと一緒に脚本を担当しています。

お能は受け継がれている間に、エッセンスだけが残ってきた。むしろ、エッセンスを残すことに力を注いできた芸能だと思います。なんでそうなったのか、これからどうなるかなどのストーリーとしての重要な部分や、現代演劇でいうサービスみたいなところが、どんどんそぎ落とされてきて最も重要な部分だけが残っている。今回で言うと、巴という女武者が、木曾義仲の最期に一緒にいれなかったという部分をお坊さんに切々と訴える場面に向けて、しぼりこまれている。

なので、この能×現代演劇という企画では、その残ったエッセンスから、帰納的に想像力を膨らませて、「じゃあ、その前に、こんなことがあったんじゃないだろうか」とか、「周りにいた人たちはこういうことを考えていたんじゃないだろうか」とか、「実は、こういうことがあったんじゃないか」とか、現代を生きる視点でいろいろな角度からみてみる、そしてお能の上演と合わせてみるということをやっています。現代演劇をからめることで、そのお能のエッセンスから想像力がふくらませるというきっかけになるような効果がおきたらいいなと。

今回の巴は珍しいお能で、修羅物と呼ばれる戦死して修羅道におちた武士が自分の死にざまについて語る能に分類されます。ただ唯一女の人が主人公にした演目で、自分の死にざまではなく、人の死にざまを語ります。

人生を物語と考えるのであれば、どうやって死んだのかっていう物語を生き残っている人たちにどう渡すかっていうのは、すごく重要だと思うんですね。いわばその生者の代表がお坊さん。お能はいろいろな作品でその場面を描いているような気がします。自分が死んだときこういうことがあって、こんな思いを残して死んだんだということを生者との仲介人であるお坊さんに伝えて、自分の人生の幕を引き去っていくみたいなことが多く描かれます。今回の巴の場合は、巴が、木曾義仲が死に様を実際に演じてみせて、お坊さんに伝える構成になっているんですけども、実はもう一つ義仲の供を主人公にした「兼平」というお能もありまして、それも義仲の死にざまについて語っているんですね。巴で語られている木曾義仲の死にざまとはちょっと違っていたりする。平家物語で語られている死にざまもちょっと違っていたりする。もっというと、巴というのは、アマゾネスみたいな人で、武芸に秀でて、最後まで義仲と一緒に戦ってた人なんですが、実は義仲の側にはもう一人アマゾネスのような勇猛な女武者がいたようなんです。その人はもう一つ前の戦いで死んでいるんです。さらに義仲には、奥さんもいて、奥さんは、戦にはついてきておらず長野に残っている。中心になっている義仲を廻って、義仲に対する残された人たちの想いが、入り乱れている感じがあるんです。そこを語りおこすというか、演劇に起こしてみるというのが、今回、おもしろいんじゃないかなと思っています。

前回の「心は清経」の時には、同じ設定で、僕が「男篇」、岡部さんが「女篇」という2本の中編を書きましたが、今回は、共作をして1本の作品にしようかと思ってます。岡部さんが、全体の会話に当たる部分、ある場所に集った人たちの会話に当たる部分で見せて、僕は自分の演劇においてモノローグ・語りの文体に重きをおいているので、義仲と思しき人に対する4人の証言みたいなものを書こうと思ってまして、それを組み合わせて一つの作品にしようかなと考えているところです。

 

岡部 林さんとしゃべってて、何に置き換えるか、「清経」のときは夫婦に置き換えてやったんですけど、今回は、現代に置き換えるのかっていう話から始まって、女だてらにってところは残したいなと思ったんで、私は、林さんに女子プロを提案したんですが、ちょっと、ワンシチュエーション、ワンアイデアみたいなことを、林さんは、それもおもしろいけれども、せばまるかもしれないということで、架空の格闘技というところで自由度を上げましょうかということになりました。女子プロだと義仲に当たる人は一緒に戦うわけにはいかないということで。

この企画の一番のおもしろいところは、林さんとのディスカッションなので、架空の格闘技の道場で4人が集って、だれが、一番、義仲に対する想いがあるかと、継承する何かを誰が受け取るかという話にしようかと思っています。作品イメージとして、林さんは「藪の中」、私は「キサラギ」という話を出したところも、この二人の違うところだなあとおもしろかったです。

お能でも、巴御前が、どういう気持ちでいるのかってところは、私は女性として、義仲が好きだったからというところではない気がしていまして、でも、ハタからみると、それが、美しい、好きだったからという話があるのですけど、他の女性二人とは違う意味合いを巴は持っているのではないかなあと思っていますので、それを師弟関係みたいなところで描けたらいいなと思っています。「清経」の時もそうだったんですけども、相容れない男女の想いみたいなもの、だけどやっぱり好きだったよねみたいな、そういうものは残したいなと思っているので、私が描いたものを林さんが最終的にどうまとめてくれるのかってのは楽しみです。私はいつもワンシチュエーションしか書かないんですけども、場面をぶったぎって、林さんに渡そうと思っているんですけども、巴の想いみたいなものを、女性だから帰れって言われる、それは大事に思っていたからか、それとも、女性を最後に連れて行くのは恥だからとか、それすら色んな見解があるんですけど、そこを描けたらいいかなと思っています。

 

◆登場人物は?

巴、山吹と葵と兼平を想起する人物を登場させる予定です。義仲にあたる人物はでてきません。つまり、長野に残された奥さんにあたる人と、主人公の巴御前と、もうひとつ前の戦いで恐らく巴御前と同じ立場にあった女武者。そして最後までつき従った従者の兼平です。

それを現代における架空の格闘技の道場を舞台にして、男一人と女3人が、「義仲」と思しき人物を偲ぶと言うか、その人のことを語り始める構成にしたいと思っています。

◆言葉としては

現代語です。

◆能は、どのように上演されるのか。

林 「紡ぎ歌」と「韋駄天」は半能を上演していただきましたが、今回は現代劇がメインで、第2回の「清経」と近い構成になるとおもいます。

今回は、「巴」の後場で、女性である巴が、甲冑姿で義仲の最後を再現する場面があるのですが、そこをやっていただこうかと思っています。

なぜ、そこを使おうと思っていたかと言うと、岡部さんと話していたのですが、シャドーボクシングです。架空の格闘技の道場を舞台に選んだ理由もそれですが、シャドーボクシングは言い換えれば、相手との実戦を想定したシミュレーション・再現、つまり「巴」で演じられる仕方話と共通する部分があると思いました。

「巴」で演じられるこの仕方話が、義仲のシャドーボクシングと言い換えれば、それをいろんな人が色んな言葉、色んな形、色んな表現の仕方でやるというのは、面白いのではないかと思いました。

そこで、義仲にの最後についてのもっともベースになる形・語りの部分をお能・林本先生に担ってもらうのがいいかと面白いんじゃないかと考えています。

◆最初に伝えたいことって、手法が違うだけで、能も現代演劇も一緒じゃないかとおっしゃっていましたが、「ともえと、」ではなんですか。

林本 まだ、たくさんあるんですね。それは、稽古をしているうちにだんだん絞られていく、今、答えることは難しいかもしれませんけども、稽古を重ねていくうちに、1本にしぼられていくと思います。能の「巴」としては、巴御前の内面ですね、死んだことが悔しいのではなく、愛する人と一緒に死ねなかったことが悔しいと、木曾家が滅んでしまったことが悔しいのではなくて、愛する人に添い遂げられなかったこと悔しい。何が悔しかったのかをどう伝えていくか、そこがおもしろいと思っています。

 

◆巴をセレクトした理由

林 巴を選んだのは、このシリーズが、4回目とあって、前回あった韋駄天が「舎利」を元にして作ったのですが、登場人物が神と鬼しか出てこないんです。設定のおもしろさはあったのですが、4回目とあって、もうちょっと人の想いみたいなものを描いているお能をやってみてもいいのいではと、演目探しをしました。能は死者が出ることが多いですけれども、この「巴」の演目としての珍しさ、女性が出て来て、自分のことでなく、人のことを語っている面白さに惹かれました。

お能は、多数の関係性の中で世界を描くことがないじゃないですか。1対1を中心とした少人数の関係性で語られる。この「巴」という作品も巴御前と、木曽義仲の関係に集中すると、添い遂げれなかった悲しみが切々と伝わってくるのですが、少し広げると、面白いものが、ちらばっていて、長野に帰れって言われて、形見持っていくけど、奥さんいるよねとか、そもそも帰ったのかなとか、形見の品が、例えば清経であれば自分の遺髪を届けるわけですが、今回は、小袖。女性が着る着物を届けるという。誰の小袖だってことが書かれていない。前の戦で死んでいる、巴と同じ立場でいていた女性がいるってなると、その人が生きていた時は二人の関係性はどうだったんだとか、兼平にいたっては、巴と義仲の最後についての描写が食い違っている兼平と義仲、巴と義仲、山吹と義仲、1対1の関係に嘘はない、真実だと思うんですけど、大勢の関係でみると、違うものが見えてくるという面白さがあります。それを現代演劇でやってみようかと。特に岡部さんは群像劇を描くのを得意としていますし、僕はモノローグで「藪の中」をやってみようかと思っています。記憶は、自分に合わせて変わっていくところは面白さになるとおもいます。

岡部 女性だけど、一緒に戦っていたのに、最後にそんなこと言われるなんて、結局のところ好きやったと思うんですけどね、自分で認めない部分もあるのではないですかね、意地とかあるんじゃないかなあと、ハタから見たら、それ好きやんみたいな。こっちから見るとそう思うけど、よりせつないというか。

◆架空の格闘技とは??

林 まだ詳しくは決まっていないのですが、軍隊の訓練から発展したスポーツのようなものはどうかなとおもっています。コマンドサンボとかね、そういう架空のものを創れたらいいかなあ。もともと戦から起こった物語ではあるので。戦争で、敵を倒すというところから始まったものが今スポーツとしてあるという。

◆能舞台というスペース

林 演出をさせてもらう立場で言うとすごく面白いんです。どこから見ても立体的に見えるという空間の見え方があります。また、客に媚びないしつらえというか、バンと邪魔なところに柱があったりする。これは、もうお客さんが受け入れざるえないっていう堂々たる構えが。お客様に分かりやすく美術作りましたではなく、ずっとこうです。って感じにこちらも預けてつくれるところはありますね。見え方は、正面とワキでは、同じことをやっていても、変わってくるとおもいますが、ワキにお客さんがいるから、ワキに向けてお芝居するということを全然考えていないところが逆に立体的に見えて面白いです。

岡部 私、出演もしているのですが、役者としては、めちゃくちゃ怖いです。色んなところから見られているということもですが、威圧感というか、どんとしているので、ここに出るときの緊張感は、今までとは全く違います。舞台負けするという感じが、現代演劇の役者としては。

前回、パジャマ姿で立たせていただいたんですけど、いいんだろうかということも含めて、めちゃめちゃ怖い場所でした。

林 回を重ねるにつれて、能と現代演劇積みあがってる感じがしています。ちょっとしたきっかけや登場退場のタイミングなどを、僕の演出に合わせて能楽師の方からじゃあこうしてみましょうかなどの提案していただいたり、やはりセッションでやってらっしゃるので、この座組みでの息遣いみたいものを意識して作品としてより面白いものにできないかという雰囲気が、現代演劇と能楽とで醸成されてきているような気がします。

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